第26号 法友工体連会報3/4(2009年11月26日) 印刷

第26号 法友工体連会報を4回に渡り,毎週火曜日に公開していきます.

現役通信 工体連新歓報告

 5月11日、18:30より毎年恒例の工体連新歓を行ないました。今までは、旧道場や旧体育館を使用していましたが、今年は食堂の半分を貸し切って行ないました。参加団体、参加人数は右表の通りです。
 学生生活課から課長の山根義雄様、主任の杉田治夫様、文化連合から委員長の望月久司様、技術連合から委員長の原橋典生様、4名の方々をお招き致しました。始めに、山根義雄様から来賓のご挨拶と乾杯の音頭をとって頂きました。
 工体連新歓のメインイベントは、毎年恒例のアームレスリングを行ない、〔第1位 iPod シャッフル〕、〔第2位 プロテイン〕、〔第3位 ゲーム〕の豪華景品をかけて、各団体の代表者による熱い戦いが繰り広げられました。優勝は4年連続で、水泳部の佐藤勲さんがダントツで勝ち取りました。
 最後は、これも恒例である校歌斉唱で締めくくられました。参加者全員で肩を組み、見事な合唱となりました。
 今回、OB会様からの御援助を発泡酒として各団体に配り、非常に喜んでいただき、例年よりも更に盛り上がりました。これも、OB会様からの御援助の御陰であると感じ、工体連役員一同、心より感謝の意を申し上げます。


小金井レポート(2)学生時代の酒処 『スタミナの城』のおばちゃん


 学生時代毎日のように行った店、かれこれ27年前になる。それが東小金井の線路際にある「スタミナの城」である。後輩時代、工体連の各部が集い、部によっては駅のホームから自己紹介や歌を歌っていた。何度自己紹介しても、「聞こえない~」との先輩の声に何度もやり直している懐かしい店である。余談ではあるが、こんな馬鹿げたことが、その人の羞恥心を捨てさせる人間形成になっていたのかもしれない。
 本部の仕事が終わると同期と二人で、「おばちゃん、ビール1本とグラス2つと秋刀魚の刺身とゴマ鯖の刺身頂戴」からスタートする。そっとおばさんが側に来て、「あんたら学生やから、刺身50円まけとくさかいに」と気持ち良く飲んだものだ。
 また、工学祭になると、おばちゃんが、各部の出店を回り「焼き鳥3人前頂戴」と両腕の袋にいっぱい各出店の商品を買い込んでいる姿を見た。「おばちゃん、どうしたん。もう、持てないでしょ。」「いや、私の店はあんたら学生さんが飲みに来てくれるから、成り立っているのやから。だから買わせてちょうだい。これはおばさんの気持ちやから。」
 社会人になってからも工体連の催し物があると、いつの間にか各部で2階は一杯になり、盛況と化しています。暫くすると大皿で焼き鳥の山盛りが運ばれてくる。「焼き鳥頼んでないよ」というと、少したっておばちゃんが、人指し指を口に当てながら「これはオバちゃんの気持ちやから、おじさんにだまっといて」と焼き鳥を置いてくれたものです。心暖まるオバちゃんの気持も頂いたものである。
 私は、このおばちゃん(西田セキヨさん)に、人としての生き方を教えて頂きました。人に対する恩返し、感謝の気持ちを。おばちゃんが、ガンになった際も、免疫療法のお医者さんを紹介したりしましたが、平成17年3月10日に他界されました。
 2008年法政大学の全国大会が愛媛に決まりました。私の祖先が高知県土佐藩郷士の出身ということもあり、1年前から行くことを決めていました。そんなある日、スタミナの城でおばちゃんの出身が愛媛であったことを思い出し、店にいる姪っ子さんにその場所の地図を書いてもらいました。おばちゃんの姉を訪ねるようにとのことでした。
 姪っ子さんに書いてもらった地図を頼りに訪ねると、お姉さんのご主人様が、お墓に連れて行ってくださいました。墓は、山の上の日当たりの良いところでした。お線香をたいて拝んでいると、おばちゃんのお兄さんが、話を聞きつけ、来られました。
 先の現役時代の話をすると、とても喜ばれ「こんな果ての田舎まで来てくれて、セキヨも喜んでおるわい。そうよな、面倒見のいい妹やったからなぁ。少し働きすぎで、早くいってしもうたが・・」再三家に上がるように言われましたが、法政大学全国大会があるゆえお断りし、写真を一緒に撮って後にしました。
 私は、何かおばちゃんに、やっと恩返しが出来たような、清々しい心を頂いてきました。僕らの心を暖めてくれた、西田セキヨおばちゃん、永遠にありがとう。息子さんが引き継いだ「スタミナの城」がある限り通いたいものです。焼き鳥を焼くおばちゃんの姿を目に浮かべながら。 
(ボクシング部 土居通明 ’84)


スキー部創部50周年  記念式典に参加して>

  ’61年卒 大瀬邦夫
 半世紀前の創部に拘った一人として感想を述べさせて頂く。2年前からこの式典の準備を進めて来た方々の労と熱意に後押しされ、「スキーが好きor好きだった」約200名近い参加者は十分に満足した時間を過ごさせて頂いた。
 チームワークのとれた役割分担、スマートな進行、特にイメージスキャナーを使って50年間の膨大な数の写真を取り入れ、編集された記録メディアを見て、若かりし時代にタイムスリップし、心熱くしたOB連中も多かったのではないだろうか。実行委員諸君の努力に心から拍手を送りたい。
 懇談をしていて、創部当時の事が思い出された。卒業の年
’61年にスキー愛好会を作ったが、発端は人数を集めれば安くなるのではと(昨今では常識だが)恐る恐る感触を探ると安く出来る事が判った。即大学に会の申請をしたが、実績のないクラブは直ちに認められないと、そこで以前からスキーに夢中な仲間で作っていた集団BLITZ(当時第二外国語として教科となった独語・・稲妻の意)を母体とし、愛好会にする為に急ぎ会則やら人事やらを文章化し、大学に認めてもらい、’61年3月約100名近い参加者を引き連れ、第1回スキー旅行を山形県蔵王温泉で開催。国鉄(現JR)の車両貸切り交渉から始め、全て手作り。今でも当時の参加者から苦情が出る程満足度の低いツアーであった。(遡れば’59年が部の出生年)初代は後輩との交流が殆んど無く、愛好会を作りっぱなしで以降交流が途絶えていたが、記念式典では温かく迎えて頂いた。その後の部の歴史には幾多の変遷があり、’09年は初めての女性主将と再生に弾みがついている様である。
 現役を側面から盛り立てるOB会、時代の変化にあわせ運営を工夫し、連帯感溢れる部に育てあげてくれた歴代幹部に感謝したい。これを機会に放蕩爺さんも邪魔にならぬ程度に顔を出し、見守って行きたい。現役の50代が中心となる時代はどんなOB会になっているのか楽しみである。