第82号 法政大学工学部同窓会報 3/12(2011年05月17日) 印刷

第82号 法政大学工学部同窓会報を12回に渡り,毎週火曜日に公開していきます.


工学部同窓会への歴代会長・事務局長からのメッセージ


第16代会長 〜 工学部同窓会の思い出について 〜

 法政大学では工学系、理学系の将来をみて、理工学部、デザイン工学部、情報科学部、生命学科部、と発展的な計画を推進させています。これを受けて工学部同窓会の現役員の皆様の努力により、理系同窓会の設立準備を進めていただき、2011年4月1日から「理系同窓会」として活動を開始することになっていることを知りました。同窓生の一人として誠におめでたく、また感謝にたえません。私も1964年卒業して工学部同窓会に所属し、1995年土木同窓会会長、 1998年工学部同窓会長、同時進行で校友会活動、清成総長の肝入りで校友会連合会の設立に参加し、2006年までお手伝いさせていただき、在学中も合わせると50年間どっぷりと法政漬けの人生を過し幸せ者だと思っています。法政漬けの私に工学部同窓生としての幸せと埃りに思ったいろいろある中に、1996年10月19日赤坂プリンスホテルに於て行われた、「工学部同窓会30周年記念式典」です。金子泰造会長のもとで結束された、組織力とパワー、来賓の顔ぶれ工学部同窓生の力を偉観なく発揮したイベントだと記憶に残っています。


第17代会長 〜 大学の変革と工学部同窓会の柔軟な対応による発展へ 〜

 これまで大学は他大学より大胆な教学改革を実行し文系の新学部の増設等、受験志願者にとって大きなインパクトを与え、更に社会的に知名度を高め使命感を発揮して来た。
 その後、小金井キャンパス内も新学部の増設と東館の完成等含め2008年度から学部学科の再編成となり理工学部、生命科学部、デザイン工学部、情報科学部の四学部体制が誕生した。
 大学の発展は卒業生にとっても大変嬉しいものである。 これに伴い工学部同窓会も将来構想検討委員会を発足させ基本構想を策定した。
 名称は法政大学理系同窓会として2011年度4月1日より発足させ活動することになった。
 丁度、工学部同窓会は1966年10月に結成され、今年で創立45周年を迎えることになりこれまでの記録を「工学部同窓会創立45 周年記念誌」としてとりまとめ発展的改編の終結として記録に残すべきである。
 法政大学理系同窓会を発足に当たって色々な課題がありこれを順次解決するに相当な時間を要することが予想され、ややもすれば「創立45周年記念誌」の作成が後回しになる可能性も考えられる。
 これまで先輩諸兄姉の築かれた大切な財産を後世に引き継ぐためにも工学部同窓会記念誌編集委員会を発足させ実行に移す必要がある。
 尚、法政大学理系同窓会発足に当たり卒業生の皆さんから積極的な意見や提案をどしどしお寄せ頂きたくお願い申し上げます。


第18代会長 〜 学区制が変わっても 〜

 工学部は、法政大学航空工業専門学校として、昭和19年(1944年)4月に新入学生 300名の学生で創立された。しかし、昭和 20年8月15日の敗戦によって航空工業専門学校として卒業生を出すことなく、昭和20 年10月に法政工業専門学校機械科に校名を変更し、昭和22年3月に181名の初の卒業生を送り出したのが始まりです。その後、学区制の改革で学部への昇格が1年保留のあと昭和25年4月に認可され、現在の工学部がようやくスタートしました。
 大学は荒廃しており工学部への理解は必ずしも得られず、大学運営にはお荷物的存在であったと思われます。その時代の大学は卒業生理事の発言力は強力でした。その事に危機感を持たれた初代工学部長加茂正雄先生は、卒業生が団結して支援するよう同窓会の設立を呼び掛けられました。同窓会の設立はその呼び掛けが切欠でした。
 学内に残った筆者らが中心になって事務局を構成し、学科毎に名簿の整備発行や会報の刊行で組織強化を図りました。工学部同窓会の様な組織にしたい、と各学部同窓会が設立されたのはご承知の通りです。
 同時に後輩の就職ガイダンスブックまでを手掛けた事もあった。一時は職員数名で事務局を回さなければならないこともありました。右肩上がりの社会情勢も味方し、卒業評議員や理事、監事を選任に寄与しました。
 今、多くの学部や学科ができましたが、伝統は引き継がれる事と同慶に存じます。


第19・20代会長 〜 小金井キャンパスへの思い 〜

 いよいよ4月から法政大学「工学部」の歴史に幕が降り、4学部に再編され、2キャンパスに分断されてスタートいたします。
1964年(昭和39年)に麻布校舎から小金井キャンパスに移り、真新しい校舎に迎えられた最初の学生だった私は、何もかも新鮮で本当に感激したものです。
 ようやく大学のキャンパスらしい環境に浸ったことから、1966年に各学科同窓会の合意により工学部同窓会が発足しました。卒業生組織として、他学部が市ヶ谷キャンパスを中心に「校友会」活動を展開していたことに比べ、単一学部として組織力や財政的にも多くの負担を抱えておりましたが、結果的には大きな団結力に繋がったと思います。
 工学部同窓会がこの団結力を基に「理系同窓会」に再編されることを主張して参りましたが、2キャンパス分離は組織としての好結果に繋がらず苦慮しております。 市ヶ谷に移転した「デザイン工学部」にとっても、狭い校舎、即対応が出来ない実験室等を鑑み、小金井を出ることになった移転には多くの疑問を感じます。
 「理系同窓会」にとってかなり障害となりそうですが、叡智を結集して乗り越えなければなりません。