法政大学工学部同窓会
 
2023年3月28日(火曜日)
第82号 法政大学工学部同窓会報 2/12(2011年05月10日) 印刷 Eメール

第82号 法政大学工学部同窓会報を12回に渡り,毎週火曜日に公開していきます.


工学部同窓会への歴代会長・事務局長からのメッセージ


第2代会長 〜 若き日の思い出 〜

私が同窓会に関係したのはまず機械工学科同窓会の設立で、昭和34年麻布校舎で設立準備会を開いた。私が卒業したのは津田沼校舎、陸軍騎兵学校の跡地で、施盤などの機械設備が据えられたのは厩舎、即ち馬小屋である。それから見ると麻布校舎は一応鉄筋コンクリート建て、大学の工学部としてはいささか貧弱の感はまぬがれないが、馬小屋キャンパスからみると格段の違いだというのが第一印象であった。その頃、既に電気、経営の両科では同窓会が作られ活動を開始していた。機械科同窓会がスタートしたのは数年遅れて昭和36年であった。そして各科同窓会が連合して昭和41年 10月、工学部同窓会が発足した。
 学生時代を共にした同士の集まり、それが同窓会の基盤である。私が通った津田沼校舎は、駅からほぼ一里、夏は炎熱に曝され、冬は木枯らしが吹きすさび、春一番が吹き荒れ途空か真ッ黄色になる、と書くと大変な通学の様だが、仲間と駄弁りながらのほぼ一時、毎日ハイキングに行く様なもので、楽しかった思い出がある。そしてこの時仲間と語り合ったことがその後の人格形成に大きく影響した様に思われる。若き日の思い出、それが同窓会の基盤であろう。


第6代会長 〜 初めての会費改定 〜

初めに、ご指導頂きました諸先生に、厚くお礼申し上げます。
 1953年、“華の二八(にっぱち)卒”と言われて学窓を離れて57年になります。当時、卒業はしたものの就職口はなく、専門外の異なった職業に就いた人も多く、今の学生の就職戦線と似通っていました。しかし、あの頃は、戦後復興に世の中が活気づいておりましたので、その波に乗って卒業生も生き抜いてきました。この度、工学部同窓会の最終会報とのこと、振り返ってみれば、創設されて44年余、2008年には、念願だった工学部が理工学部になり、2011年には「理系同窓会」に改編されるとのこと、発展の歩みを辿った時、感慨無量の思いを禁じ得ません。
 私が6代目(10期、11期)会長の指名を受けたのは1975年(昭和50年)でした。同級生は散り散りになり、同窓会を開いても、顔を合わせる人数は少なくて、同窓会費の納入もままならず、都心に近い級友に声をかけ、会費の納入をお願いした記憶が今でも残っています。当然、会の運営も厳しく、同窓会費の値上げに踏み切らざるを得ませんでした。値上げをしたものの何の活動も果せぬまま、役所の転勤で会長を辞退することになり、今でも申し訳ないの思いでおります。
 歴代会長のご活躍により、特に前阿部会長と、現佐藤会長のもとに、役員各位のご尽力により、同窓会が発展充実し、「理系同窓会」の誕生を見ることができました。厚くお礼を申し上げます。最後に、理系同窓会の益々の発展と、躍進を祈念申し上げます。


第15代会長 〜 同窓会創立30周年当時の時代背景に思う事 〜

 私が同窓会長に就任したのは1995年4月、翌年に工学部同窓会30周年を迎えようと言う年でした。
 時代は空前のバブル景気の崩壊から5年。未だ景気低迷から抜け出せず就職氷河期などと言われた時代です。就任より同窓会の総力を挙げて取り組んだ1996年の創立 30周年の記念事業は記念祝賀会、シンポジウム、記念誌発行、記念ゴルフ大会と予想を超える大成功を収めました。勿論この成功の裏には多くの同窓会役員、同窓生及び事務局の多大な努力があった事は間違いありません。しかし、あの不況の真っ只中でなぜ!と言う疑問を近年良く考えます。
 結論は戦後何回か起きたオイルショック、バブル崩壊と言う大きな景気後退期を僅か数年で乗り越え全体としては一貫して右肩上がりの経済成長を続けて来たと言う自信を持てた最後の時期であったからと理解出来ます。その後延々と景気低迷は続き失われた10年どころか20年以上も低迷が続き、国民の気がすっかり萎えてしまったのが現在ではないでしょうか。
 この度の工学部同窓会の大改編は工学、理学系の4学部を大再編し、新たに理系同窓会として飛躍しようと言う試みです。是非とも明日への希望の「気」を発信し続けてくれる事を期待します。


 
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