第27号 法友工体連会報を4回に渡り,毎週火曜日に公開していきます.
活躍する工体連OB 11 巣立って38年 空手部OB会“水月”会長 福田 正勝(空手部 ’72 )
早いもので大学を卒業して38年が経過しています。昨年還暦を迎えました。私が働いている建設業の世界でもたくさんのことが隔世の感があるほど様変わりしています。失われていく美しい慣習がある反面、新しく生まれ変わって誠に便利なものもあり、一言で語ることは出来ません。どの業界でも同じ様なことがあるのではないでしょうか。 学生時代、建築学科の学生であると同時に空手部の部員として過ごしました。どちらかというと空手部の部員として過ごした時間の方が多かった様に感じます。人生のたった4年間の大学生活ではありますが、この時間が後の私の生き方に相当影響を与えております。空手部で諳んじた“五条訓”は今でも私の心の中で生きています。サラリーマンの宿命で私もご他聞に漏れず、色々な土地で生活しましたが、そのところどころで空手部はもとより工体連の先輩諸兄、同輩、後輩の皆様との交流があり、とても嬉しく感じております。 今回図らずも寄稿の機会を与えて頂きました。大学で教えて頂いた建築関係の仕事に従事することになった訳ですが、小職が3年ほど前、建設会社の社員として、または単なる建築技術者として、普段考えていること、感じていることを、趣味で書き綴った拙書“頑張れ土建屋”という本の中から抽出して何点か書かせて頂きます。 “ものをつくる喜び” 建築技術者の仕事には、ものを作っていく喜びがある。何も無い更地に設計図に基づき、建築物を作っていく。大勢の職人さんと手を携えながら建物つくりに邁進する。基礎、地下、1階、2階とどんどん積み上っていく。 はっきりと目で見て進捗が確認出来るということほど、精神衛生上すっきりすることはない。建物を作ることはそれほどたやすくないが、こうした分かりやすさがとても魅力なのだ。計画段階から参加し、工事期間を経て、完成した建物を引き渡す。それだけで満足しているのに、そこでお客様から一言お褒めの言葉を頂いた時などは、今まで苦しかったことなど忘れてしまうほど嬉しい。 ついでにもう一つ。何年か経って自分が携わった建物を訪れたり、何かの用事でその建物のそばを通ったり、電車からその建物が見えたりする。そんな時決まって胸の高まりを覚える。昔好きだった女性に会う様な嬉しいトキメキなのだ。これも我々の持つ素晴らしい特典なのだろう。 “名刺はタテ書き?ヨコ書き?” ある会社の社長さんとお会いした時である。私が名刺を出したところ、その方がこう言った。“私は横書きの名刺は大嫌いなんだ。親の遺言でね。名刺を横書きにすると会社が横になる。つまり倒れるんだよ” 私の名刺が横書きになったのは平成3年(1991年)に赴任した現場からであった。建設業の3悪条件である3K(きつい、きたない、きけん)を払拭すべく建設会社各社も様々な企業イメージアップの試みをしていたころである。名刺を各社が横書きにし出した頃から(丁度バブル倒壊)建設業の苦しみが始まったことは間違いない。 この話は全くの偶然で、そんなことを考えること自体馬鹿馬鹿しいとも思うが。こんな話を忘れかけていた頃、全く別の会社の社長さんから同じ事を言われた。私は妙に共感してしまった。ハード、ソフト共に元に戻す事は、ほとんどの場合出来ない事が多い。でも気分一新、元気であった昔に戻れる意味で、全社員の名刺を縦書きにしてみたら良いのではないかと考える。 “K.K.D(経験、勘、度胸)の復権” TQCの導入を建設業各社がこぞって宣言した頃の事である。我々の会社でもTQC教育が行われていた。その中で“KKD(経験、勘、度胸)だけで現場をやってはいけない”というフレーズが教育の中でもとびかった。本来は“KKDは必要で重要なことなのだが、それだけで現場をやるのではなく、常に科学的にプロセスを管理して、現状の悪さ加減をデータで把握し、改良点を追及していこう”というのが主題であったはずなのに、“KKDで仕事をやる人は古い人で悪い人である、近代的に仕事を進めるにはKKDは不要である”、というような雰囲気が出来上がっていった。 そして徐々にではあるが、宝物のような経験を持ち、もっともっと仕事にその経験から得たものを主張してしかるべき人達が、この雰囲気のためにあまりものを言わなくなっていった。 特に現場で指揮を取っている人にとって、KKDはなくてはならない必要条件である。当然ながら十分条件ではないということである。KKDを軽んじる風潮は是正されるべきで、こうした事項の復権がない限り、建設現場は消化されないデータの山となり、その魅力をますます失っていくだろうと思う。 “土建屋人生と空手道” 忙しい建設会社社員の傍ら、私が学生時代からずっと続けてきたのが空手道である。かかわりは大学のOBとしてであった。 この年齢になって“私は空手道が好きなのだ”とつくづく感じる。練習にも参加して過ごしてきたのだが、段位も学生空手道連盟からと大学生時代とOBになってから母校から頂いているだけで、審判も正式な資格を取得するところまでは突っ込んでいない。建設会社の社員としては時間的制約の中で良くやってきたのではないかと思う。 そんな私にもごほうびはある。息子が空手道をやっており、現在社会人になっているが、大学生の時から私の友人である先輩後輩諸兄にとてもかわいがってもらっていることだ。二人で空手をやることがあるが“親子で空手をやるなんて羨ましいね”と体育施設の管理人さんに言われることもそうである。また、もっと嬉しいのは、女房が“夫と息子の道着を洗濯して、物干しに干すことは何か微妙に嬉しい感じがする”と言ってくれたその一言である。 我々建築技術者にもたくさんの違った能力を持つ人がいる。バランス感覚と技術センスが良く、難しい仕事も何事もなかったようにこなしていく人もいるし、何をやっても遅く愚鈍で、傍目に見ていても心配になるほどであるが、何を言われようが粘り強くコツコツとやっていく人もいる。両極端をあげたが、数え切れないほど千差万別の人の能力があり、それが会社で定められたルールに基づいて仕事を進めている。どんなに能力が高くても、スキのない進め方で完璧にやろうとしても、全ての角度から見て満点というのはないのであって、自分の能力を知り、その能力の中で粛々と積み上げていくことが、肩の力の抜けた素晴らしい生き方だと思う。 私が愛する空手道を例に挙げて語りたかったことは、私の目標が“気が優しくて不器用で、運動神経が劣る人間がやりぬく、味のある型(空手道の)である”ということだ。 こんなことを考えながら38年が過ぎました。私を育ててくれた大学の先輩同輩後輩限らず、多くの友人、そしてわが家族に感謝しております。 現在私は三井住友建設株式会社で取締役常務執行役員として建築管理本部、設計本部、技術研究開発本部、調達の4部門の管掌役員と東京建築支店長を拝命して、お陰様で忙しく元気にやっております。工体連に関係する全ての皆様のご活躍とご健勝を祈念致します。
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