法政大学工学部同窓会
 
2023年3月28日(火曜日)
第80号 法政大学工学部同窓会報3/12(2010年7月20日) 印刷 Eメール

第80号 法政大学工学部同窓会報を12回に渡り,毎週火曜日に公開していきます.

若き日の甘美な夢

 工学部同窓会が発足したのは昭和41年10月2日、品川の東京観光ホテルで結成大会が開かれた。それまでに科毎の同窓会が組織されていたが、工学部同窓会として一本化した活動が必要であるとの機運が高まってきた。それに応えてスタートしたものだが、このため結成大会の参列者先生方と各科同窓会の代表理事併せて25名ほどであった。その同窓会で、私は会報の製作を担当することになった。その頃卒業生は七千を越えたいたが、大多数の会員へのコンタクトは唯一会報が頼りである。そこで何を載せるか。やはり同窓生の関心は、母校の現状にあるかと思い、学校の状況を伝えることに重点を置いたつもりである。そして各科の同窓会が母体となっていることから、科毎の動静にかなりの紙面を割いた。
 先生方にも寄稿をお願いしたが、中でも印象に残っているのは第3号(昭和43年8月刊行)に載せた当時の工学部長森戸太郎氏の「同窓会、この不思議なるもの」と題する一文である。その中で「無限の可能性を信じて邁進したあの情熱、その若き日の追憶と回顧、この甘美な夢がなかったら、同窓会などは干からびてしまうだろう。だから同窓会は理屈では組み立てられない、いわば飛び出した古巣への本能的な愛着であり、その情念の結晶である」と述べておられる。これを読んでわれわれが学んだ習志野の校舎を思い出した。元騎兵学校の校舎並らびに厩舎を利用したキャンパスは、学校というにはみすぼらしいものであったろうが、そこに集う若者は無限の可能性を信じて語り合っていた。その甘美な夢を紙面にいくらかでも表せないか、などと考えていたことを思い出しています。
 今大学は大きな転換期に来ている。工学部も2008年から理工学部、生命科学部、情報科学部、デザイン工学部の四学部に分かれ、機械工学科には航空操縦学も加わった。時代の要請に応じたバラエティーに富んだ卒業生がこれから続々と出てくることになる。こうした変化に会報がどのように応えていくか、世の中複雑になってきたものだと感じています。
 最初は年に一回発行するのがやっとだった会報も、そのうち年に二回は出せるようになり、今回は80号の節目に当たるという。これまで積み重ねてきた広報担当の役員の方々、ご苦労様です。そして変化する大学と同窓会に応えていく、これからのご活躍に期待しております


● 会報色々……

 

会報はいつからスタートしたのですか?


昭和41年10月20日です。発行人として初代 萩原 達二会長の名前で作成されています。それ以来、約44年間で80号に到達しました。

参考までに、各学科の会報創刊は以下の通りです。
当時の会長が色々な思いを載せてOBに情報発信をスタートさせた記念すべき日です。情報が全てありませんのでご了承下さい。
−機械工学科  昭和38年9月21日創刊 発行人安田邦一 現在50号
  −電気OB会  昭和34年3月27日創刊 発行人OB会 現在35号
  −土木工学科  平成8年11月25日創刊 現在11号
         発行人小林一久 編集人出穂 孝之
         同窓会創立30年を記念して創刊
  −建築学科   昭和60年4月5日創刊 最新45号
         発行人住ノ井 正勝 編集人会報編集委員会
  −経営工学科  平成2年7月5日創刊 最新24号
         編集発行人三浦 専衛
  −計測同窓会  平成4年4月25日創刊 発行人松本 茂 現在17号
  −電子情報同窓会 現在10号

 

 

◦何人の会長や担当委員長の力で作られてきたのですか?


歴代会長が発行人として、会報の作成をしてきています。編集人は会報の責任者として委員会の委員長が歴任しています。面白いのは、年代によって委員会の呼び方が少しずつ変わってきていることです。
 昭和54年~ 出版委員会
 平成3年~ 会報委員会
 平成16年~ 広報委員会

会報担当の委員長として、活躍された方々は以下の通りです。
 鈴木 富夫、不嶋 恵司、原田 和夫、菅井 晨純、園部 泰宏、
 玉木 敏昭、高桑 明、武田 信一、高森 茂衛、渡辺 隆之、
 小川 格、石黒 豊明(敬称略、歴代順)

◦毎年何回発行されていたのですか?

昭和58年から昭和61年の4年間は、年間3回の発行をしていました。それ以外は年に1~2回程度で、平成14年からは年1回になっています。

◦ページ数は今と変わらないのですか?

年3回発行していた時を含め大半が4頁でしたが、最大で16頁の時期もありました。 ◦

新聞のような形から、今の形に変わったのはいつ頃ですか?

73号(平成16年)から今のA4サイズに変更されています。ファイルするのに不便だった事やコピーし易さも影響しているようです。以前の形は、A4よりも各頁で約1.5倍の大きさがありましたので、4頁でもA4サイズで6頁くらいのボリュームでした。

◦他学部も会報を出しているようですが?


経済学部、社会学部が今も会報を発行しています。
今年で経済学部は48号、社会学部は35号を迎えています。

◦面白い記事は?


4号(昭和44年) 第二回同窓会全国大会が開かれています。
        会費はなんと500円!
5号(昭和45年) 志願者と倍率がまとめられています。
         昭和36年 3,004名 入学者655名 倍率4.6倍
         昭和45年 16,014名 入学者948名 倍率16.9倍 
         44年から大幅に志願者が増加しています。
15号(昭和54年) 「窓」欄がスタート。学科のお知らせがまとめて入れられるようになりました。以前は「各科通信」という名前でした。
26号(昭和59年) 多摩への展開の記事で盛りだくさん。今後の大学の方向性をいち早くOBに届けていました。
33号34号の間の号外(昭和62年) 企業紹介でOBの方々が在籍する各社が就職記事を載せています。
37号(昭和63年) 多摩校舎完成
39号(平成元年) 「就職指導誌WAY」を発行し、就職に関する生きた情報を学生に提供していた。8万円の広告費(B5版1頁)を各社から集めて(年毎82社→100社→153社)毎年発刊されていました。広告費だけでも1000万円近く‼
43号(平成3年) 理工学部へ転換の記事が出始める。実際に理工学部が出来たのが、一昨年ですから、かなりの時間がかかったことになります。
46号(平成4年) 現役にとっては学部の再編の件が、同窓会(OB・OG)にとっては校友会会則改正に対しての対応が、それぞれに大きな変化として取り上げられています。
50号(平成6年) 同様に記念号として発刊されています。
51号(平成8年) 工学部創立50周年記念祝賀会
73号(平成16年) 2色刷りから単色に。大きさも新聞の形からA4サイズに変更になり、今の大きさに変わりました。

 
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