懐かしの小金井に戻ってきました
――先生と工学部との最初の接点は何ですか? 私が最初に出会ったのは『工学祭の綿飴』でした。 小学生の時、小金井第三小学校(東小金井駅から工学部への通学路にある小学校)に通っていました。小さい頃より電気・機械いじりが好きで、『工学祭』にもよく行きました。その時、特別大きな綿飴を作ってくれた学生さんのイメージがよく残っています。 今、また勤務先として工学部に来られたのは何かの縁かもしれません。 ――先生のプロフィールを教えてください。 慶応大学工学部で「管理工学科の電子計算機」を専攻していました。その後修士、博士課程では「人間工学」の研究を行って来ました。院生の時はあるアパレルメーカーに常駐し、システム開発のアルバイトでいい収入源になりました。社員並にその会社を詳しく知り、システム開発では重宝がられました。 その後厚生労働省関連の大学校で教えていましたが、あまりにも官僚的で馴染めず、あるきっかけで法政大学に来ることになりました。 ――工学部の印象はどうですか? 前の大学校に比べ、法政工学部の印象は良いイメージでした。民主的な仕組みで、最近の学校の実態や学生を良く見ているように感じました。 人間と機械のインターフェース ――先生の研究室はどんな研究をしているのですか? 「経営工学」は本来モノの考え方、体系的考え方・取組み方を学ぶところです。他の学科と違い「要素技術」を研究する学科ではありませんが、企業、社会に大きく関わる学科です。 私達の「人間工学研究室」ではこんなユニークな研究をしています。 その1…荷物を持つ動作の時、その荷物に「重量表示(たとえば5Kgとか10Kg)」をすると人間の動作は異なります。表示があると動作が滑らかになります。 その2…現在、JRの駅の券売機は特定のところに人は集中します。目的地の路線図が大きく表示されているすぐ下の券売機に人は集中する傾向があります。各券売機に路線図を表示すると使いやすく集中は避けられます。自動販売機、公衆電話等の機械はその国の文化を表わします。自動券売機では先にお金を入れ、その後、行き先のボタンを押しますが、最初のタッチパネル式自動券売機は、後でお金を入れる形式であり、その時の写真を今でも持っています。現在、お金は後先どちらでも可能になっています。また、日本では公衆電話をかける場合、先にお金を入れますが、アメリカではダイヤルを先に回し、後でお金を入れます。 その3…銀行のATM(自動受払い機)はお年寄りの嫌いな機械でしたが、最近改良機が出てきています。お年寄りだけでなく一般の人も多機能・メニューの多いものは使いにくいものです。使う人の都合を考えた機械の開発が近年益々求められています。 その4…ケータイ等で同じボタンを押し続けると機能が変わる「モード」切り替えの概念は人間にとって「記憶を要求」するため避けたいものです。現在、どのモードで行っているかを覚えている必要があり、その勘違いで飛行機も墜落することもあります。「高齢化社会」に対応するためには使いやすい専用ボタンによる操作性の良い機械を開発することが重要です。 ――経営工学・人間工学は「人間と機械(マン・マシン・システム)」のインターフェイスを主に研究する学問です。今後の高齢化社会を迎え益々重要となる分野と言えるでしょう。 学生に刺激を… ――最近の学生の動向はいかがですか?(新入生、卒業後の進路等) 「真面目な良い学生」が増えたと思います。一時期、東京周辺出身者が多いこともありましたが、最近は地方出身者も多く「全国区の大学」に戻りつつあります。これも景気回復の表れではないでしょうか。「理系離れ」と言われますが、工学部を志望する学生は、元々数学が他の科目より多少良かったから来た人も多いようです。また、「経営工学科」は文系的色彩もあり、志望者数は減っていません。 卒業後の進路はメーカーに行く学生が減り、システム開発会社に行きSEになるケースが多いようです。大学院に行く割合は当学科では少なく、就職志望が多い状況です。 ――同窓会についてご意見をお聞かせ下さい。 大学との交流を深め、学生に刺激を与えてほしい。 工学部の良さを内外に伝えてほしい。会社からの研究者の派遣、研究寄付も含め、大学と交流を深めることにより産学双方にメリットがあると思います。 現在は個人的つながりでの受託・共同研究が多い状況ですが、もっと広く同窓会の方に大学との交流を持っていただき、現役学生に刺激を与えて頂く事を期待しています。 ――本日はお忙しいところありがとうございました。 聞き手 中山 明(経営73) 鳥飼 弘幸(電気95)  鈴木 郁(かおる) 教授 1961年 名古屋生まれ 工学博士
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