法政大学工学部同窓会
 
2023年3月28日(火曜日)
法政大学工学部同窓会
第81号 法政大学工学部同窓会報 5/10(2010年10月26日) 印刷 Eメール

第81号 法政大学工学部同窓会報を10回に渡り,毎週火曜日に公開していきます.

 

昭和37(1962)年 鳥取県境港市生まれ 47歳
昭和60(1985)年 土木工学科卒、川田工業株式会社 電算センターに就職(現:川田テクノシステム株式会社)
平成 3(1991)年 鳥取県境港市役所奉職
平成22(2010)年 鳥取大学大学院工学研究科博士後期課程修了、現在、境港市役所建設部に勤務の傍ら鳥取大学持続的過疎社会形成研究プロジェクトメンバーとして持続的社会基盤経営に関する研究活動を継続中。

平成21年度 土木学会賞(論文賞)受賞

 法政大学時代
 入学した昭和56年(1981年)当時、土木工学科は小金井キャンパスの一角にあり、都内にありながら武蔵野の自然に囲まれ、地方から上京した私にとっては、なにかほっとさせられた印象があったように思います。
 大学時代の私は、工体連サッカー部に所属し、3年次からは工体連本部役員として企画・渉外部門を担当させていただきました。研究室は山門明雄名誉教授の土質研究室に属し、当時、まだ走りであったパソコンによるシステム開発にチャレンジすることとなったのですが、パソコンはもとより電子計算機演習の単位を落とした私にとっては、まさに苦悩の日々でありました。しかし、あれほど苦手であったコンピュ-タ解析に序々に興味が増し、将来はコンピュータを利用した土木設計の仕事につきたいと考えるまでになっていました。
 大学生活は、日々のサッカー部の練習と工体連本部の仕事、そして苦悩に満ちた卒論と4年間ある意味充実した日々とは言え、時間に追われ、あっという間に過ぎ去ったように思います。しかし、この間に培われた体力と精神力、加えて学友ならびにサッカー部の諸先輩方、後輩たちとの絆は、何にも換えがたいものとなり、私の中で今日も生き続けている最高の財産であり、また原動力になっております。
故郷の市役所に奉職
 30歳を迎えるのを期に故郷である鳥取県境港市にUターンし、市役所に奉職、発注者という立場から土木の仕事に携わることとなります。
 行政職に転じてから今日までの間、土木分野における社会基盤施設整備計画や事業側面からの評価などの業務に携わり経験を重ねて来たものの、地域の実情に応じて、これまでの社会基盤整備のあり方と実態に関して総括し、今後、将来における社会基盤整備のあり方について考え方を新たに構築しなければならないと感じ、気づけば40歳を越えておりましたが、一念発起しました。
40歳を越えてからの大学院受験
 社会人選抜入試で受験可能で希望する講座が地元鳥取大学大学院工学研究科に開設されていることを知り、また、県内でもあり職場の許可が頂けけたことから、同大学院を志望校と定めました。
 思いを固めてから受験に至るまでは、受験準備期間に約3年間を費やしました。この3年間の受験準備期間において出願資格認定審査に合格し、博士後期課程への受験資格を取得しました。
 研究テーマは「人口減少高齢化社会における社会基盤施設の持続的経営」と題し、具体的な研究対象の社会基盤施設として、私自身、実務の経験もあり、住民生活に密着し、全ての住民が利用対象となる下水道事業を選定しました。
 大学院での学習並びに研究は、限られた日数でかつ、通学に片道2時間(往復4時間)を要したことから、登校する1日1日が貴重な時間であり、学生時代とは異なり、学習することに期待感があり、時間が許す限り、選択科目や単位に関係は関係なく、研究に際し必要と考えた財政学、地方自治法、自治体経営論などの文科系科目も聴講するようにしました。
学位授与と土木学会賞受賞
 これら基礎および応用科目の学習と並行する形で、研究テーマに向けた学術論文の作成を行い、土木学会を初めとする関係学術機関への論文投稿や発表活動を経て、最終的に学位論文「人口減少高齢化社会における小規模自治体の持続可能な下水道事業経営に関する研究」が完成、入学から4年後の平成22年3月に同課程を修了し、学位(工学博士)を授与いただきました。
 学位論文における主論文「公共財の供給を含む一般会計を考慮した人口減少高齢化社会における下水道事業経営」が、平成21年度第46回土木学会環境工学委員会環境工学フォーラム「論文賞」並びに平成21年度土木学会賞「論文賞」を受賞しました。
 大学院受験を決めた平成15年から約7年間、毎日が慌しい日々ではありましたが、非常に充実した時間となりました。振り返りますと、日々の勤務と生活の中で、どのように時間をつくったのか自分でも不思議なくらいですが、大学院での研究をはじめるに当り、職場の上司に1つのアドバイスをいただきました。「社会人と研究を両立する秘訣の1つとして、どちらも今以上にがんばること、どちらかをおろそかにすれば、両方ともに実のないものになる。」それは、実践して見てよくわかりました。両方平等にがんばることで、自然と自分自身に言い訳をすることがなかったように思います。また、そのための時間のやり繰りやスケジュール管理能力は、今回の研究活動で習得した副産物となりました。
 この変化の時代を迎え、大学を卒業し、既に社会人の方でも、今一度学習したいという人やさらに専門性を高めたいという人は、数多くおられると思います。私もそうであったように、学習への思いはあっても、その第1歩を踏み出すことが出来ない状況にあるのではないでしょうか。目標をしっかりと定め、計画性を持って準備すれば決して不可能ではないと思います。そして、必ず何か1つでも新たなものを習得するという強い意思さえあれば、ゴールは必ず見えてくると思いますので、僭越ではございますが、心からエールをお送りしたいと思います。


土木学会の論文評価
 
本論文は我が国がこれまで経験したことがない人口減少、高齢化が進む中で、下水道事業を長期的視点で持続的に推進していくための検討手法を提案しており、これからの時代の要請にこたえる有用性の高いものであり、この分野の学術研究の発展に貢献するものと判断され、土木学会論文賞にふさわしいと認められた。
(土木学会誌より)


 
第81号 法政大学工学部同窓会報 4/10(2010年10月19日) 印刷 Eメール

第81号 法政大学工学部同窓会報を10回に渡り,毎週火曜日に公開していきます.

お茶会から始まる文化交流

理工学部  福澤 レベッカ教授 一般教養(英語)・社会科学方法論
福澤 レベッカ教授
ノースウエスタン大学 博士
―福澤先生のプロフィール

 アメリカ生まれのアメリカ育ち、イリノイ州のシカゴ出身です。中西部にある小さな大学を卒業しました。大学3年生のときに留学生として、日本の大学にきました。そこへ通いながらホームステイをして1年間過ごしたのが最初です。
 アメリカに帰って1年後に卒業し、卒業後はすぐに日本へ戻ってきました。半年間大手メーカーの非常勤の契約社員として英語の手紙を直す仕事をしていました。その後大学の教員のアシスタントを1年間勤め、そこで今の主人と結婚しました。その後大学院に行くためアメリカに戻りました。
―日本に興味があったのですか?
 そうですね。アメリカで通っていた大学には日本語の授業があり、そこで日本の歴史・哲学などといったものを教わりました。70年代にそういう授業がある大学は珍しい方だったと思います。大学には60年代から交換留学のプログラムがあり、それを使って日本に来ました。
―法政大学に来たきっかけは何ですか?
 法政大学の工学部の一般教員のほとんどは公募で雇われています。法政の工学部は「国籍を問わず」「語学だけではなく他の専門も教えられる」という先生を募集していたので、英語だけでなく自分の専門も教えられる可能性がある、ということで非常に興味があり応募しました。
―先生の研究テーマを教えてください
 日米の中学生・大学生の比較研究を行っています。専門は文化人類学です。未開民族の調査をするために現地へ行き、そこの言葉を聴きながら文法も自分で理解できるようにして、インタビューや観察を通じてその村を調査する、というものですが、博士課程での調査対象が日本の中学校だったのです。
私の場合、調査は2年半で3校へ行きました。1校あたり半年から一年近く時間をかけ、授業に参加したりインタビューをしました。それらが終わってからようやくデータの分析が始められるのです。
―日本の中学校の文化として部活動、大学でも体育会がありますが、体育会の文化というのはどう思われますか?
 現在大学生をインタビューしています。部活に入っている学生の話も聞きますが、とても面白いと思います。
 少し話は変わりますが、ゼミ制度というのは実はアメリカにはありません。教員は卒論の指導をするだけでゼミの形にはなっていないのです。日本のゼミのシステムは教授がいて、その下に学生が付く。教授と学生の縦の繋がりもあるけれど、学生同士の横の繋がりもあり、例えば先輩後輩で助け合ったりできる。そういう点は日本の大学の強みだと思います。
―休部となっていたESSを復活させた
 はい。休部となっていた文化連合のESSの復活に携わりました。初めはオフィスアワーの時間に英語の好きな学生が私の研究室に集まってコーヒーを飲みながらお話をしていました。もっと英語がやりたいという声があったので「クラブを立ち上げればいいじゃない」と声をかけたところ、学科の違う4人の学生が「そうしよう」と。それが始まりでした。
 今では登録人数も60人まで増え、学部生だけでなく大学院生も在籍する大きな組織になりました。
―学校・同窓会についてご意見をお聞かせ下さい
 ニュースを見ると英語が大事という話を良く聞きます。しかし英語は自分には関係ないという現役学生の声も聞きます。年々そういうギャップが大きくなっていると思います。OB会の方で社会に出てどういう勉強が役に立ったという情報、例えば実際の仕事の中でどういう形で英語を使っているか、等の生の声をフィードバック出来ればより良くなると思います。
―本日はお忙しいところありがとうございました!

聴き手 望月 久生(建73)
萩坂 悠樹(シ10)


 
第81号 法政大学工学部同窓会報 3/10(2010年10月12日) 印刷 Eメール

第81号 法政大学工学部同窓会報を10回に渡り,毎週火曜日に公開していきます.


いよいよ、工期も後半戦!2007年からスタートした小金井キャンパス再開発もかなり進んだ感じです。それでも、当初の予定からかなり遅れているような状況です。すでに、研究棟の解体に入っている時期ですが、まだ北館の完成には至っていません。(本年12月竣工予定)
まだ昔の面影を残しているのは、研究棟と事務棟(図書館)だけになります。OBとしては益々、親しみがなくなり行き辛くなることが考えらますが、今までよりも多くの学生が小金井キャンパスに在学するためには必要な開発です。
理系学部4部(工、理工、情報科学、生命科学)が在学する新しい小金井キャンパスを是非見に来て下さい。


 

 
第81号 法政大学工学部同窓会報 2/10(2010年10月05日) 印刷 Eメール

第81号 法政大学工学部同窓会報を10回に渡り,毎週火曜日に公開していきます.

工学部同窓会が「理系同窓会」に改編

●大学改編と同窓会の現状

 法政大学は、近年、工学系・理系の教学充実を図るため、2007年に「美学」と「工学」の融合から生まれる次世代の工学デザイナーを育成することを踏まえ、デザイン工学部を工学部から分離独立し、市ヶ谷キャンパスで新たにスタートした。2008年には、論理的な思考を身に付けて、科学技術の発展と社会的環境に対応出来る次世代の技術者を育成することを踏まえて、理工学部と生命科学部をスタートした。このことにより工学部は発展的に改編し、工学系・理学系の学部が誕生した。
 大学の学部再編成により、同窓会組織も改編が余儀なくされ、工学部同窓会も発展的に改革することとし「大学の発展と同窓会の発展」を両輪と位置づけ、同窓会を大集約した組織体として、2007年1月から協議を開始し、2011年4月1日から活動が始まります。
 これまでの経緯を踏まえて今後の方向性を以下の様にご提示します。

●構成について


(1)構成は、旧工学部同窓会(各学科同窓会)と新設される情報科学部(各学科同窓会)並びに生命科学部(各学科同窓会)が同列で、一括直接加盟して構成することを原則とする。[上図を構成図を参照]
(2)組織と運営は、旧工学部同窓会の会則等に準拠した体制で活動する。
(3)役員・委員は、旧工学部同窓会の会則等に準拠する。
(4)仮想学部同窓会は、必要に応じて構成し、学部単位または所在するキャンパスに区分して設置する。原則として、会長・副会長(学部・所在選出)がその任にあたる。
(5)理系同窓会の会則等が施行されるまでは、旧工学部同窓会の会則等に準拠して日常の運営にあたる。[第139回理事会(2010年6月4日開催)にて将来構想検討委員会の松谷委員長から提案と報告があり、承認済]

●構想と考え方

 これまで、5回の将来構想委員会で色々な意見が出されたが、組織は大きく活動は科学の絆を強く、を年頭にして、基本的には現行の工学部同窓会と同様に各学科同窓会の集合体で連合組織として構成することが望ましく、各学科同窓会は学科の特徴を踏まえて自主独立の活動を行なうこととして、8月の理事会の承認を得ました。今後、具体的な準備に着手します。尚、理事会で承認されている事項は、以下の通りです。
1.名称:法政大学理系同窓会
2.設立:2011年4月1日
3.財産:原則として現工学部同窓会の体制を引き継ぐ
4.事務局:原則として現工学部同窓会の体制を継続
5.移行処理:理系同窓会の会則等がされるまでは、現工学部同窓会の会則等に準拠
6.構成と組織:モデルを作り、将来構想委員会にて協議(掲載の構成図は検討用)
会   長 佐藤 敏夫
副会長兼将来構想委員会委員長 松谷  勝


 
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